大判例

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東京高等裁判所 昭和43年(う)1687号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

原審および当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官太田武之、弁護人金井厚二作成名義の各控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、いずれも、ここにこれを引用し、これに対して当裁判所は、つぎのように判断をする。

弁護人の論旨二並びに検察官の論旨第一について

弁護人の所論は道路交通法第七二条第一項前段につき、検察官の所論は同項後段について、原判決はいずれもその解釈適用を誤ったものであると主張するので、各所論にかんがみ、まず、これが判断に必要な事実について証拠を按ずるに、原判決挙示の各証拠並びに当審における事実取調の結果に徴すれば、被告人は、昭和四三年三月一〇日午後六時五〇分ころ、酒に酔って普通貨物自動車を運転し、原判示群馬県々道を時速約四〇キロメートルで進行中、原判示のごとき過失により、折から原判示交差点において右折のため一時停止していた角田一夫運転の軽四輪貨物自動車を前方約一三メートルの至近距離に至って初めて発見し、あわてて急制動の措置を講じたが間に合わず、自車右前部を右軽四輪自動車の左後部に追突させ、その衝撃により、右角田に対し、原判決の認定によれば、全治約四二日間の鞭打ち損傷の傷害(当審における証人角田一夫の供述によれば全治約二三〇日以上)を負わせたこと、しかし、角田は、右のごとく追突された衝撃によって自車が前に押し出されたので、思わず運転進行させて予定のごとく交差点を右折したのち道路左側端に駐車させ、被告人もまたこれを追うごとく自車を右折させて角田の自動車の前に駐車させ、同所において、両名とも車から降り、車体の損傷を検分し、そのさい、被告人は角田に対し、自分の運転免許証を示し、角田の自動車の損傷につき「この位なら大したことはない。」とか、「自分は前橋の自動車修理工場で働いているが、修理にどの位かかるだろう。」などと言っていたこと、もっとも、角田は、事故の処理に困惑して被告人の免許証の記載などは目にはいらず、たまたま本件事故を目撃して側に寄って来ていた通行人斉藤武雄、柳常市の両名に対し、相談したところ、右斉藤から、警察に電話したほうがよいと言われ、同人に連れられて近くの伊藤商店に歩きかけたこと、そのさい、被告人は、角田を呼びとめ、警察に電話することをやめてもらいたいような言動を示したが、角田はそれに構わず、斉藤に伴われて伊藤商店に赴き、同店の電話を借りて警察に事故の報告をなしたこと、被告人は、角田の後から伊藤商店まで行ったが、右角田の電話が終らないうちに、一人、黙って前記のごとく駐車しておいた自己の自動車の側に帰り、その場に居た右柳常市にも何も言わず、そのまま逃走したこと、なお、角田は、終始、被告人の面前においても、首(頸部)に手をやり、「痛い、痛い。」と言い、「鞭打ち損傷だ。」などとも言っており、被告人はその状況を現認していたものであり、右のごとく逃走したのは、同人の捜査官に対する各供述調書によれば「被害者が鞭打ち損傷だと言い出したので、これはうまくないと思って逃げた。」というにあり、原審第二回公判廷における供述によれば、「けがが大丈夫と思うよりも、酒酔い運転なので、こわくなって逃げた。」というにあること、一方、右のごとく警察に電話した角田は、約一〇分後に事故現場に来た警察官に対し、以後約四五分間にわたって事故の状況を指示説明し、その間、右警察官においても格別救護の措置あるいは治療の指示を行なわず、自分もまた、大した傷害とも思わずに、事故の状況等を指示、説明したうえ、自ら自動車を運転して一旦帰宅したところ、家人の勧めにより、改めて病院に出かけ、初めて医師の診察を受けたこと、その結果は、鞭打ち損傷であり、その程度については、当初は「全治約一〇日間」というにあり、その後(同年三月二二日)全治四二日間と診断されたことがそれぞれ認められる。ところで、

一、弁護人は、「道路交通法第七二条第一項前段の規定は、被害者の負傷が軽微で社会通念上ことさら運転者等の助けをかりなくても負傷者において進退に不自由なく、年令、健康状態等からみて受傷後の措置を充分とりうるものと認められ、救護の必要なしと判断して格別の措置をとることなく現場を立ち去ったときは、後日予想外の傷害があったことが判明しても救護義務違反の責を問われるべきものではない。」との見解に立脚し、前認定のごとき本件事故後の被害者の行動、事故現場に来た警察官もなんら救護の措置をとらなかったこと、医師でさえも当初は全治一〇日間と診断した等の情況に照らせば、角田の傷害は、本件事故当時としては、誰が見ても非常に軽微で誰の救護も必要としないものであり、被害者の年令、健康状態からみても、被告人には道路交通法第七二条第一項前段所定のいわゆる救護措置義務はなかったというべきであるから、原判決が、被告人の所為につき道路交通法第七二条第一項前段、第一一七条を適用したのは法令の解釈、適用を誤ったものであると主張する。

しかし、近時の交通事故における傷害の実状にかんがみれば、たとえば本件追突事故における鞭打ち損傷の診断あるいは治癒の経過が如実にこれを物語るがごとく、被害者の負傷は、事故当時における単なる外傷あるいは自覚症状の程度いかんにかかわりなく、後日、意外の重症と判明するのがむしろ通例というも過言ではなく、しかも、格別医学的知識もなく、かりにあったとしても事故の一方当事者として冷静かつ客観的な判断を期待しがたい加害車両等の運転者等をして被害者の負傷の程度を判断せしめ、これによって救護措置の要否を決せしめるがごときは徒らに救護の時期を失わしめる虞れがあり、かくては、道路交通における人身の保護を完うせんとする前記法条の趣旨にそわないものといわざるをえない。したがって、いわゆる救護措置義務における具体的な措置の態様については、負傷の程度によっておのずから程度の差異をもたらすことあるは格別、いやしくも交通事故において負傷の事実が発生し、かつ、これを運転者等において(未必的にせよ)認識した以上は、負傷の程度いかんにかかわりなく、該運転者等は、これが事故のために相応の措置を講ずるべき義務があるものと解するのが相当であり、該運転者等において、右負傷の程度が軽微であるとかあるいは負傷者自ら受傷後の措置をとりうるものと判断し、なんらの措置を講ずることなく事故現場を立ち去るがごときは到底許されないものというべきである。

そうだとすれば、本件においては、前認定のとおり、角田一夫は前示追突事故によって鞭打ち損傷の傷害を負い、かつ、被告人は事故現場においてその事実を認識していたのであるから、これが救護のための相応な措置をとるべき義務の存することは当然であり、しかるに、被告人は、かかる救護の措置と認めるに足るなんらの措置を講ずることなく逃走したものであることは前認定の事実その他関係証拠によって明白であるから、被告人において原判示のごとく救護措置義務違反の責を負うべきこともまた当然である。いわんや、車両の追突事故における鞭打ち損傷が往々重篤な結果を招くことは、今日においてはもはや一般の、少なくとも自動車運転者の常識ともいうべき実状にかんがみれば、本件被害者の傷害が所論のごとく非常に軽微で誰の救護をも必要としないものということは到底許されないところである。畢竟、原判決には所論のごとき法令の解釈適用の誤りはなく(ちなみに、これによる事実の誤認もなく)、弁護人の論旨は理由がない。

二、検察官は、原判決が、被告人において本件事故発生の日時、場所等法令に定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかった旨の公訴事実に対し、車両相互間で発生した交通事故の場合においては、前記道路交通法第七二条第一項後段所定の報告義務者には被害車両の運転者も含まれ、また、第三者等がすでに報告しているため再度報告しても独自の意義を持たない場合には他の者の報告義務は消滅するとの見解に立ち、本件においては、被害車両の運転者である角田一夫が被告人の目の前で事故発生について警察官に報告しているのであるから、被告人の報告義務はすでに消滅しているものとして無罪の言渡をしたのは前記法条の解釈を誤ったものであり、事故の一方の運転者等が報告をしたからといって、他方の運転者等の報告義務が消滅するものではないと主張する。

よって、按ずるに、道路交通法第七二条第一項後段所定の事項を報告すべき運転者には、いわゆる被害車両の運転者も含まれること、および「右報告は、事故発生の事実を客観的立場から警察官に通知することに重点があると解すべきこと」はいずれも原判決が説示するとおりであり、また、原判決がいうごとく、「第三者等がすでに報告しているため、再度報告しても独自の意義をもたない場合」の存することも否定すべきことではない。しかし、そのことから、直ちに原判決のごとく、一方の運転者が報告したことによって他方の運転者の報告義務が消滅するものと解することはできない。けだし、道路交通法第七二条第一項後段は、右のごとく複数の報告義務者を規定しながら、他方、同法第一一九条第一項第一〇号は、他の報告義務者の報告の有無、程度、先後等、なんらの制限を設けることなく、「第七二条第一項後段に規定する報告をしなかった者」を一様に処罰の対象として規定している文理に照らしても明らかであるのみならず、もし、これを原判決のごとく解するにおいては、安易に他の者の報告を期待して自らの報告を怠る等論旨もこれを危虞するごとく事故報告の確実な履行を確保しがたい結果を招く虞れなしとしない。したがって、前記報告義務は、たとえ他の者において報告したからといってこれを免れるものではなく、道路交通法第七二条第一項後段所定の各運転者においては、いずれも所定の事項を報告すべき義務あるものと解するのが相当である。そうだとすれば、本件事故車両の運転者である被告人においても、たとえ一方の報告義務者である被害者において所定の事項を報告したからといって自己本来の報告義務は消滅するものではないと解するのが相当である。

もっとも、以上のごとく解するときは、ただその報告者を変えて全く同様の事実を順次報告するがごとき場合も生じ、かくては、原判決もいうがごとく「再度報告しても独自の意義をもたない」ような、無用の義務を課するものとの見解もありうることであり、原判決も、かかる見解に立つものとも解されるが、義務の存否とその履行の方法とはおのずから別個のことであり、所論報告義務の存否について前段説示したがごとく解したからといって、常に、必ずしも、順次、各別に報告することを要するものではなく、共同して義務者の一人から報告することもまた許されるものと解すべきである。しかるに、本件被告人においては、前認定の事実からも明らかなごとく、角田と共同して警察官に事故の報告をなすべき意思は全くこれを窺いえず、かえって、被告人は、角田等他の者から警察官に知らされることをおそれて事故現場から逃走したものであるから、被告人において他の者と共同して所定の報告義務を尽くしたものとも認めがたい。

畢竟、原判決は、道路交通法第七二条第一項後段の解釈を誤ったものといわざるをえず、この誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、検察官の論旨は理由がある。

弁護人の論旨三について

所論は、かりに検察官所論のごとく被告人に本件事故を報告すべき義務があったとしても、道路交通法第七二条第一項前段違反の所為と同項後段違反の所為については、同項前段違反の一罪が成立するに過ぎないと主張するが、両者は各別に犯罪を構成し、かつ、それが併合罪の関係に立つものであることは最高裁判所判例の示すとおりであるから、論旨は理由がない(昭和三八年四月一七日最高裁大法廷判決、最高裁判例集第一七巻第三号(刑事)二二九ページ参照。)。

以上説明のとおり、被告人の本件控訴は理由がないが、検察官の控訴は理由があるので、検察官の量刑不当に関する論旨に対する判断をまつまでもなく、刑事訴訟法第三九七条、第三八〇条によって原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書によって当裁判所において直ちに判決する。

(当裁判所において新たに認定した事実)

第四 被告人は原判示第一の日時、場所において、原判示第一の交通事故の日時、場所、負傷者の負傷の程度等、法令に定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかったものである。

(右事実の証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の原判示第一の所為は刑法第二一一条前段(同法第六条、第一〇条により、昭和四三年法律第六一号による改正前の法律による。)、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号、同第二の所為は道路交通法第六五条、第一一七条の二第一号、同第三の所為は同法第七二条第一項前段、第一一七条に、前認定の第四の所為は同法第七二条第一項後段、第一一九条第一項第一〇号(なお、以上の各所為につき、各罰金等臨時措置法第二条)に該当し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから右第一の罪については所定刑中禁錮刑を、その余の各罪については所定刑中いずれも懲役刑を選択のうえ、刑法第四七条本文、第一〇条により、最も重い右第三の罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内において被告人を懲役六月に処し、原審および当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 栗本一志 判事 石田一郎 金隆史)

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